大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和62年(ラ)780号 決定 1988年1月27日

抗告人

青野哲也

右抗告人代理人弁護士

竹下甫

山之内幸夫

相手方

豊田時嗣

外四九六名

右相手方ら代理人弁護士

宮崎乾朗

篠崎芳明

吉田康

村橋泰志

山田勘太郎

田中清隆

三井義廣

荒川昇二

石塚伸

片桐一成

鈴木博

渥美利之

佐々木成明

鈴木孝裕

辻慶典

熊田俊博

渡辺昭

中嶋練太郎

竹山定志

藤田哲

藤本昭

三善勝哉

山田齊

長野哲久

岩本充司

小高譲二

酒井英人

浦野信一郎

林範夫

冨山喜久雄

南政雄

大澤恒夫

岡本義弘

大口善徳

杉山繁二郎

齋藤安彦

久保田治盈

清水光康

小倉博

白井孝一

荒巻郁雄

藤森克美

小野森男

青島伸雄

高山幸夫

佐藤久

大橋昭夫

土屋連秀

栗原孝和

阿部浩基

渡邊高秀

小林達美

本杉隆利

沢口嘉代子

河村正史

加藤静富

立石勝広

西尾和広

石塚尚

山本正士

松下祐典

藤田雅弘

黒柳安生

同(但し、相手方加藤明及び同内田雅子を除く。)

杉田雅彦

同     (同)

浅野正久

同     (同)

中村光央

同     (同)

牧田静二

同     (同)

榊一夫

同     (同)

岩崎修

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一本件抗告の趣旨は別紙一の1に、その理由は別紙一の2、3に各記載のとおりである。そして、これに対する相手方らの答弁は別紙二に記載のとおりである。

二1  別紙一の2の抗告理由第一章(仮処分決定との齟齬)について

一件記録によると、本件間接強制決定の債務名義である原審裁判所昭和六二年(ヨ)第一〇五号、第一一六号の各仮処分申請事件の決定(以下単に「仮処分決定」という。)は、主文第一項で、本件建物外壁の「國領屋一力一家」の文字板及び山口組を表象する紋章の仮撤去を命じ、さらに同第二項において「債務者(抗告人)は、本件建物の外壁に『國領屋一力一家』を表示する文字板及び看板等又は山口組を表象する紋章、文字板及び看板等を設置し、同建物内において、『國領屋一力一家』の定例会を開催し、同建物内に『國領屋一力一家』の構成員を集合させる等して同建物を『國領屋一力一家』の組事務所として使用してはならない。」旨命じていることが明らかである。

ところで、右の「構成員を集合させる」というのはその後に「等」の文字が付されていることからも明らかなとおり、例示であつて、仮処分決定全体の趣旨からして、作為に限らず、不作為をも含めて、これと同様に評価できる行為を指すものと解せられる。一件記録によると、仮処分決定送達後においても、本件建物に連日「國領屋一力一家」の構成員が多数出入し、右建物が同組事務所として使用されていることが明らかであり、右のような行為は、「構成員を集合させて同建物を『國領屋一力一家』の組事務所として使用する」行為そのものに当たるか、これと同様のものと評価することができ、仮処分決定に違反するものと認められる。すなわち、抗告人が、一定数以上の構成員を右建物に立ち入らせ、または立ち入りを容認し、もしくはこれを放置して、右建物を組事務所として使用する行為と、仮処分決定の主文に例示された「構成員を右建物に集合させてこれを組事務所として使用する」行為とを同様のものと評価し、これを禁ずることは、仮処分決定全体の趣旨及び右決定違反の前記態様からして、仮処分決定の執行として相当であつて、仮処分決定の主文と原決定の主文との間に齟齬があると認めることはできない。なお、抗告人の主張中には、仮処分の被保全権利の存否、その必要性または保証金の有無及び額に関するものもあるが、それらは仮処分異議の訴訟で争うべきことであつて、本件執行抗告の理由としては判断の限りでない。

2  同第二章(理由不備、特に七名以上及び一日につき一〇〇万円との判断)の第一、第二について

一件記録によつて認められる仮処分決定全体の趣旨からすれば、原決定が、「本件建物の組事務所としての使用」の態様のうち、一日につき少なくとも「のべ七名以上」の構成員の立ち入り等をもつてする組事務所としての使用を、仮処分決定に違反するものと認め、債務の履行としてこれを禁じたうえ、右違反につき金員の仮払を命じたことは、正当として是認することができる。また間接強制のための仮払金額の具体的な決定については、執行裁判所が債務の履行を確保するために相当と認める一定の額(民事執行法一八〇条、一七二条一項)をもつて定めるべきもので、その性質は一種の違約罰と解せられるところ、一件記録から窺える、その違反行為の態様、抗告人の仮処分決定遵守についての態度等諸般の事情を考慮すると、一日金一〇〇万円という金額が高きに失し、違法不当であるとは認められない。また、右金員が支払われた場合、結果として相手方らの被つた損害の一部または全部に充てられるとしても(同法一七二条四項)、これを抗告人の主張するように権利侵害に対する補償金と解することはできないし、したがつて、相手方において、その損害額について立証する必要があるわけではなく、また、執行裁判所においても損害として証拠に基づいてこれを認定しなければならないものでもない。もつとも、履行を確保するための額として相当な金額を決定するに当たり、違反行為によつて相手方らの被るであろう損害の額も、一つの事情として斟酌されないわけではないが、それらの点を考慮しても、前記金額についての判断を左右することはできず、他により低い金額が相当であるとする抗告人の主張に副う資料はない。

してみると、抗告人の各主張は採用することができないというべきである。

3  同第二章の第三(民法四二七条、四二八条との関係)について

原決定の主文によると、間接強制としての一日金一〇〇万円の仮払金は、分割債務として、これを認めたものであることが明らかである。そして、本件のような場合、主文において一括してその金額を定めてもなんら違法不当とはいえない。してみれば、右債務が不可分債務であることを前提とする抗告人のその余の主張は、理由がないことは明らかである。

4  同第三章及び別紙一の3の追加の理由(憲法違反)について

原決定が、一定数の構成員の立ち入り等をもつてする「本件建物の組事務所としての使用」を禁じ、かつ、その違反に対し金員の仮払を命じたのは、それが相手方らの被保全権利(平穏な日常生活を営む自由ないし権利)を侵害し、またはこれを侵害する恐れがあるとの仮処分決定の判断に基づき、その執行としてしたものであることは明らかであるところ、右の限度において抗告人の権利行使が制限されても、憲法二九条、一三条、一四条、二一条等に違反すると認めることはできない。もつとも、抗告人の主張するところは、その大部分が、結局相手方の主張する被保全権利の不存在、または、抗告人の本件建物の使用が相手方らの被保全権利を侵害等していないというにあると認められるところ、それらは仮処分異議訴訟における異議事由として争うべきであり、本件執行抗告の理由には当たらない。いずれにしても、抗告人の憲法違反の主張は理由がない。

5  同第四章(仮処分の暫定性、緊急性違反)について

仮処分決定及びその送達がなされているにもかかわらず、債務者(抗告人)によりその違反行為が継続されている場合、同人にその履行を命じ、違反行為を禁ずることは、債権者からの強制執行の申立がある以上、執行裁判所として当然のことであり、そのことは仮処分の暫定性に反しないし、また仮処分そのものの緊急性とも関わりがない。抗告人の主張は仮処分異議訴訟で主張すべきことであつて、抗告理由には当たらない。

6  その他一件記録を精査しても、原決定が違法不当であるとする事由は見当たらない。

三よつて、原決定は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官大西勝也 裁判官鈴木経夫 裁判官山崎宏征)

別紙一―1 執行抗告状

抗告の趣旨

静岡地方裁判所浜松支部が昭和六二年一一月二〇日にした間接強制申立事件についての別紙主文目録記載の決定を取消す。

申立人らの申立てをいずれも却下する。

との裁判を求める。

抗告の理由

追つて書面にて詳述する。

別紙 主文目録

一 債務者は、当庁昭和六二年(ヨ)第一〇五号、同第一一六号不動産仮処分事件の仮処分決定により、別紙物件目録記載の建物内に國領屋一力一家の構成員を集合させる等して同建物を國領屋一力一家の組事務所として使用してはならない。

二 債務者が前項の義務に違反し、昭和六二年一一月二四日以降第一項の建物内に國領屋一力一家の構成員を当番構成員であると否とを問わず、一日につき、のべ七名以上立ち入らせる等して同建物を國領屋一力一家の組事務所として使用したときは、債務者は、債権者らに対し、当該違反をした日の一日につき金一〇〇万円を仮に支払え。

別紙一―2 間接強制決定に対する執行

抗告の理由書

第一章

間接強制に関する原決定(昭和六二年(ヲ)第二二一号)は、先になされた仮処分決定文の解釈を誤つていること。

第一、間接強制申立事件の原決定において「類似し、又は準じた行為」と理由中で判断したことの誤り。

一、原決定は、「債務者が、構成員を集合させなくても、構成員が建物に来るのを放置すれば類行為である」、と言った。

原決定自ら認める通り、債務者は仮処分決定で示された「各禁止事項の文言に直接違反していない」。

しかし、仮処分決定の趣旨からして類似の行為も禁じられているとし、構成員が事務所に出入りしているのは、債務者が「本件建物内に國領屋一力一家の構成員を集合させる等」の行為と同じ程度のものと「一応認められる」と理由中で判断している。

誤つた拡張解釈である。「一応」どころか全く認められない。

以下理由を述べる。

二、仮処分決定(六二年(ヨ)一〇五号、同一一六号)の主文は冷静に正しく解釈しなければならない。

危険感や不安感という測定不能のたよりない心情に力を持たせてはならないという理性を常に働かせて解釈すべきである。

仮処分決定の裁判官と、間接強制決定の裁判官とは同一人物であるが、判断の内容は明らかに変化している。仮処分での判断を越えた内容を間接強制では示している。

そこでまず仮処分決定にもどつて再度解釈の指針を示す。そのうえで違反行為の有無を見なければならない。

(一) 限定解釈なのか、無制限解釈なのか。

右の点に関しては、六二年一一月二〇日付答弁書で詳述したとおり

「同建物に國領屋一力一家の構成員を集合させる等して同建物を國領屋一力一家の組事務所として使用してはならない」というのは、事務所使用の一切を禁じるのではなく、「集合させる行為」をして事務所として使つてはならない、という意味で限定的に解釈すべきである。

この場合の「集合させる」行為は、組員が建物を訪れる状態をさすのではない。何故ならば先の答弁書で述べた通り、①文理解釈上も、集合させるとは、債務者の行為を意味し、②構成員が建物を訪れる行為まで禁じることは、債務者一人を相手にした裁判では命令できないこと、③集合という概念は、バラバラと人が出入りして「延べ○○名」と表示するような状態でないこと、④主文が「債務者は構成員を建物内に出入りさせてはならない」となつていないこと、等からも明瞭である。

(二) 何故限定的に解釈すべきなのかというと、同じく答弁書にて指摘した通り、仮処分決定は建物内に写真や代紋をかざつて事務所の体裁をととのえることや、建物内に当番構成員を置くことまで差し止めできない、つまり外部に目だたぬよう事務所として使用する分には差し止めはできない、と言つていることからも判るとおり権利の実体である危険感や不安感では、力として弱すぎるのである。

三、仮処分決定を拡大解釈してはならない理由

(一) 間接強制決定では

「國領屋一力一家の構成員を立ち入らせる行為―立ち入りを容認し、放置する行為も含む」は「集合させる」行為に類似しており、仮処分での禁止事項に反する、と言う。

しかし、これは意味が相当違う。

間接強制の決定によれば、

債務者は

「構成員を立ち入らせてはならない。」

「立ち入つているのを放置してはならない。」

ということであり、もし延べ七人以上、つまり七回以上、構成員が出入りしたら一〇〇万円払え、それは故意によると、過失によると、不可抗力によるとを問わない。さらに債務者に気付かぬうちに出入りしようと、緊急事態があろうと、一切感知せず一〇〇万円を払え、ということになる。

債務者は構成員が建物に入らぬよう厳重に注意しなければならないことになつてしまうが、そんな強力なる義務まで、仮処分では予想していない。

仮処分の決定では「集合させる」という債務者の故意的な行為が禁じられていたのに、間接強制では無過失や不作為や、緊急避難の場合まで例外を認めない無限定な形になつてしまつている。

これは仮処分の判断を越えるものである。

(二) 何故仮処分決定では建物内を事務所として飾つたとしても、また当番員をおいたとしてもそれを差し止められない、と判断したのか原点に戻つて考えるべきである。

仮処分決定には、保証金を債権者らにつけていない。それは何故だつたのかも考えるべきである。保証金をつけていなかつたのは当時、間接強制まで予想していなかつた、からである。今回急に、結果として無保証で、一日一〇〇万円払えというのは完全に仮処分を逸脱している。

(三) 拡大解釈してはならない理由はやはり危険感や不安感にある。これは権利ではないからである。

大阪空港騒音公害や、新幹線振動公害では、その被害が測定可能であつた。また地域住民にも、共通の悩みを一方的にまき散らしていた。ところが本件は違う。ヤクザは公害ではない。比べられるべきは公共性ではなく債務者の人権である。危険感や不安感というのは心情(当代理人は嫌悪感にすぎないと思う)であつて、権利にまで高まり得ないものである。現に地域住民の中には、今の騒ぎを嫌忌している者も多数いる。危険感や不安感といつても共通の心情ではなく、個人差がありすぎる。

例えば危険感や不安感が本当に権利だというなら、そして差し止め請求までできるというなら、少なくとも慰謝料請求ならもつと容易に認められなければならない。そうだとすると、ヤクザの事務所が存在する地域の住民は全員、ヤクザの親分に対して、慰謝料の請求ができる、ということになつてしまう。

“そんなバカなことが……”と絶句してしまう。

危険感や不安感というのは権利ではない。地域住民との関連において、その具体的な因果関係も立証されていない。共通の心情とも思いにくい。一部原告団という人達の運動に、冷静であるべき裁判所が過大な立場を与えてはいけない。現行法のもとでは本当に危険や不安があるというなら、その人達が具体的にそれを立証して損害賠償を請求しうるのが限度であると思える。人が多く集まれば理屈は抽象的でもよいという結果になつてしまつているが間違つている。まして拡大解釈する等は誤りのうえに誤りを積み重ねることである。

第一章の結語

仮処分決定での

「構成員を集合させる等」

とは債務者の行為をさすものであり、構成員が建物に訪ねて来る状態を意味するのではなく、債務者は仮処分決定に反していない。よつて原決定は判断の誤りがあり取消されるべきである。

第二章

原決定は証拠裁判主義に反しており、且つ、裁判に何ら合理的な根拠が示されていない違法がある。その他法令違反がある。

「延べ七名以上」という判断及び「一日につき金一〇〇万円」という判断に関して。

第一、証拠がない。

裁判に証拠が必要なのは今さら言うまでもない。

(一) 「のべ七名以上」……。

いったいどこに証拠があるのだろうか。当代理人の友人が「ラッキーセブンの意味だよ」と説明してくれた。

ちなみに間接強制決定に対する報道を聞いて、当代理人が受けた質問は「なんで七人以上はアカンのですか」が一番多かつた。

私が、「いや七人以上と違つて、結局のべ、と書いてあるから、七回出入りしたら一〇〇万円取られるねん」と説明したら

「へえー」と一様におどろく。

「すごいですね」という人もいるが、何がすごいのかお互いさつぱり判らない。

仮処分の決定では「債務者は集合させて事務所として建物を使つてはならない」、となつているが、「のべ七名以上」が、右に違反していること、と認定し得る証拠は何もない。これだけは本当に何もないと思われる。

(二) 「金一〇〇万円」……

間接強制での金員支払いは裁判所の相当と判断する金額を命じればよい、というのが、法文であるが、相当という判断にも、おのずから証拠を前提としなければならない、という証拠裁判主義の理念は生きていると思われる。一〇〇万円という数字を導く証拠は何もない。申立人らが提出した証拠は人の出入りを写した写真と報告書が中心である。金銭上の数字を算出するに必要な証拠は出ていない。

以上いずれも証拠裁判主義に反する。

第二、合理的な理由が示されていない。

民事訴訟法二〇七条は決定においても判決に関する規定を準用する、と定め、同法一九一条では、判決文には判断の「理由」を記載すべし、とある。つまり決定でも理由を書いて、当事者に示すべきである。

(一) 「のべ七名以上」……

ラッキーセブンでは困る。当事者に説明のしようがない。

民事裁判は刑事裁判と違つて、当事者の裁判所に対する信頼があつてこそ、主文の実現が為されていく。あまり訳のわからない判断を示されると、お互い好きなように生きよう、となつては困る。何故七回以上、つまり七回の出入りでダメになるのか示して欲しかつた。

仮処分の決定でミスをしたから、こんな無茶を言うのではないのだろうか。おそらく「当番を認めたのは失敗だつた」と思つたのだろう。裁判所のミスを当事者に転化してはいけない。本当に信頼を失いますよ。

(二) 「一日一〇〇万円」……

(1) さてこれも証拠がないし、理由も示されていない。

どう受けとめたらよいのだろうか。

おそらく裁判所の判断は『ヤクザの組長だつたらこれぐらいふつかけておかないと効き目がない』、もしくは『金はクサるほど持つてるからこれ位、カマシとかなアカン』といつたところではないかと思われる。

一日一〇〇万円なら、一〇日で一、〇〇〇万円、一ケ月で実に三、〇〇〇万円である。そんな金はどこにもない。無茶苦茶な数字であり、法外で無体な仕打ちである。払える訳がない。配下の者が七回出入りしたら、一ケ月三、〇〇〇万円払えということになる。「とても、とても」である。

債務者がヤクザの組長だから、というアプローチから、相当の金額を判断してはいけない。

(2) 間接強制の金は、国家権力の判断に従わない制裁金、つまり国が個人に課す罰則金や反則金の性質を持つものだろうか。

そうだとすれば目安はある。例えば民事調停に出頭しない者に過料の制裁金を課す事、ほとんど発動された例を知らないし、金額もわずかである。

もう少し違反性の強いもので交通違反の反則金や罰金。やはり一日一〇〇万円もとられるものはない。

さらに違反性の強いもので、刑法犯に対する罰金。これとて、一日一〇〇万円などという強烈なものはない。

第一、債務者は一日一〇〇万円も払うほど悪い事(例え構成員が七回出入りしたとしても)はしていない。

どうも国家権力のルール違反に対する罰則金ではなさそうである。

(3) 当事者の権利侵害に対する補償金的性質。

こう考えるのが正しい思考方法である。

ところで、本件では積極損害(実損)も消極損害(得べかりし利得)もない。報告書の中には債務者が引つ越してきて商売がダメになつたと記している人もいるが、信じ難い。何より証拠上、明確に証明されておらず言い放しの事である。

本件は合理的に証明された経済的損失のないケースである。

強いて言えば苦痛に対する慰謝料というべきものであろう。ところでこの点については答弁書にもふれたが次の問題点がある。

危険感や不安感というのは実体は嫌悪感であり、従来判例上認められている痛みや、苦しみに対する慰謝料より、はるかにはかない。とらえどころがなく、測定も不可能である。しかも個人差がありすぎて、公平な算定も不能である。時間と共に変化する心情であり、建物の隣りに住む人と、何百メートルも離れたところに住む人とでは全く異なる。

さらに立証がない。四九七名のそれぞれが何か具体的に立証すべきである。

運動を率先してやつている人と、委任状に名前だけ書かされて内心迷惑に思つている人とにも、それぞれの個性があり、一率に算定することなど不可能である。

要するに一〇〇万円の数字に根拠は何もない。

さらに裁判所は、相手が暴力団の組長だから、という最も誤つた視点に立つて数字を出している。

とても裁判とは言えない。

第三、民法四二七条、四二八条の解釈の誤り

(一) 民法四二七条、四二八条は可分の目的物の給付を求める場合は原則として債権者らの個々に分割して権利が帰属すると定める。

金員の請求は指摘するまでもなく最も可分性の高いものであり、よほどの事がない限り分割して債権者らに帰属する。

原決定は四九七名の各人について各金いくらの請求権があるかを判定すべきである。一括して、「債権者らに対し一日金一〇〇万円」を支払えという根拠がない。

つまり、原決定は

「債権者豊田時嗣に対して金○○円を払え。」

「債権者○○に対して金○○円を払え」

「債権者○○に対し金……」

等と宣告すべきである。

間接強制の支払い金は民法四二八条に定める「当事者の意思表示」があつて不可分債権になるものでないことは明らかである。しかるに原決定の表示方法では不可分債権として給付を義務づけている。まさか一〇〇万円を四九七名で割つた一人一日あたり二、〇一二円強の債権を各人に認めている訳ではあるまい。

つまり原決定の判断では原告団の一人でも全額である一〇〇万円の請求権があり、一人でも受領すると債権が消滅するものとして判断している、と思われる。

かかる金銭債権が、合有的ないし、総有的に原告団に帰属する根拠が何も示されていない。

原告らは、組合でもなければ入会権を構成する者でもない。合有的集合団体の絆は一体何なのか。

債務者の建物を中心に半径○○メートル内の者という絆であるならば、地域住民の全員が合有ないし、総有の主体であるべきだ。ところが、住民の中には、現在の過熱した一部原告団と称する人達の運動に批判的な者も多数おり(別途証拠として提出する)、騒ぎが鎮静化するのを望んでいる人も多数いる。原告として委任状に署名した者が合有団体を構成するほどのつながりは何もない。

集合的権利の主体になる事実関係がない。

(二) 危険感や不安感というのは、本来心情である。

人間の心の中の問題で、個性はまちまちであり、測定の不可能なものであるが、いずれにせよ個人に帰する属性の強いものである。これが型を変えて金銭の支払いを債権となる時には、当然各人の分割債権として分れて帰属するべきものである。

しかるに原決定は全体に対して一日一〇〇万円の支払いを命じた。原告団が個人を越えて、全員が一つの主体として高まるべき法律的絆はない。

民法四二七条、四二八条の解釈を誤つているというべきである。

第三章

原決定は憲法に反している。

第一、憲法二九条財産権の保障

憲法二九条は財産権はこれを侵してはならない、と定め、私有財産制が保障されることをうたつた。

所有権というのはまさに私有財産制の根幹であり、財産権の柱である。

東西を問わず、古来から人の自然の気持の凝縮された権利の原始とも言うべき所有権はみだりに制限されてはならない。

間接強制の原決定は仮処分の決定をさらに越えて、所有権の行使を厳しく制限している。

一日に構成員が七回建物に出入りしたら、一〇〇万円払え、という。建物を建物として使つてはいけない、というに等しい。

所有権の行使がこれほどまでに制限されるのは、すでに私有財産性の根幹を揺るがすものである。自分の土地建物に人が訪ねて来ていけない、というのは納得できない。自分の所有するものなのにどうしていけないのか。使わせてもらえないのなら憲法二九条三項に言う「正当な補償」はどうなるのか。

第二、憲法十三条、何人も個人として尊厳され、幸福を追求しうる権利

一、原決定は人を人ともみなさない過酷な要求をしている。

原決定は仮処分でいう「集合させてはならない」義務からさらに飛躍して、立保証もないのに、

七回構成員が出入りしたら一日一〇〇万円払え、という。

債務者が気ずいていようと、いまいと関係がない。建物は債務者の家族も住いしている住居であるが、この家族に対しても、構成員が挨拶に訪れることすら出入りの内に入る。緊急事態が起ころうが起こるまいが、一切例外を示そうとしなかつた。債務者の故意にもとずいて構成員を呼ぶことばかりでなく、過失で、構成員が来てしまおうと、無過失であろうと不可抗力であろうと例外を認定しなかつた。

債務者は、構成員が出入りしないように、厳重に注意する必要があり、構成員が来ようとしたら「近よるな」もしくは「出て行け」と言わねばならない。さもなくば一〇〇万円というバカげた金額を払え、という。

どうしてここまでの義務を負担させなければならないのか。債務者にも、人と交わり交際を持つ立場があつて良いはずだ。

特にこの年末の構成員の挨拶、年始の挨拶すべて遠ざけなければいけないことになる。

そこまで無様(ぶざま)な真似を強いられる理由がない。

犬猫にも劣る人非人同様である。

二、債務者のプライバシーは侵害され続けているのに誰も救済しようとしない。

債権者らが間接強制にそえた証拠の中にも債務者の妻や女子学生が出入りしている記録が提出され、人の出入りがビデオで二四時間監視されて写真に映されている。

プレハブ造り二階建監視小屋の資金を市が拠出し、住民が、人の住居を見張つている。一階に警察官が詰めて、「のぞき小屋」と「のぞき魔」をガードしている。

当代理人が建物を訪れた時にも、写真を真剣にとつている人がいる。

これが正常といえるだろうか。

娘さんが学校に行くのを嫌がり、子供の友達が建物に誰も訪ねて来なくなり、息子さんの出入りまで、「組員の出入り」と新聞やテレビで報道され裁判所に提出された証拠にまで組員とされてしまつているのに、それが平気でまかり通つている。

「住民運動はもとより正当」などと判断する裁判官が七回以上の出入りは一〇〇万円と言つた。これを契機に監視小屋では、必死になつて人が人の出入りを見張つて写真にとつている。

家族の人が耐えているのが気の毒である。憂鬱な気持ちに押し殺されそうだが、せめてもの救いは判断が狂つていることである。知人に「七回で一日一〇〇万円や」と言つたら、「へえー」と言つて皆ニヤッとする。ジョークのような軽さがある。

第三、憲法十四条 平等

原決定は、もし債務者が「ヤクザ」でなければとんでもない認定をしていることは誰にでも理解できる。

では何故ヤクザならそれだけの差別を受けなければならないのか。ヤクザ者も人である。土地建物を所有し、建物にたとえ構成員であろうと、知人が訪ねてくるのは、人として、当然許されてよいはずである。

特に差別的扱いを受けてよい合理的理由が示されていない。原決定は憲法十四条に反する。

第四章

原決定が仮処分の暫定性に反し、緊急性がないこと。

第一、この事件は本案判決まで強制力は持たせるべきでない。

何故ならば危険感や不安感が権利であることに極めて疑問が大きいからである。右は権利でないと信じるが、もし一日あたり一〇〇万円も取つてしまえば、本訴で債務者が勝訴した場合、回復不能の損害を一方に与えてしまう。担保が何もない。

無保証で一〇〇万円もの金員を請求することは仮処分の暫定性に反する。

第二、仮処分の申立は司法による冷静な判断を求めているのではない。運動としての色彩が極めて強い。次から次へとくり出される嫌がらせの一つである。住民の中には原告団のやつていることを苦々しく嫌忌している者もいる。海老塚にとつて現在のさわぎが不利益で、逆に悪いイメージを作つている、と思われる。暴力団追放の名のもとに海老塚が犠牲になつている。住民の気持ちも二派に分れてしまつており、海老塚は割れている。運動をしている人もマスコミのさわぎに踊らされてしまつている。

裁判所まで、運動の中に巻き込まれてはならない。

人の出入りを禁じなければ権利が侵害されるという切迫した緊急性はない。原告団のやつていることは「のぞき小屋」で、人の出入りを見て、さわいでいるだけである。

債務者とその家族の人権を著るしく傷つけながら、泥沼のようなジレンマにのめり込んでいる。

原決定は行き過ぎた運動を、はやし立てようとするもので裁判とは思えない。現地では今確実に祭りの後のむなしさが、一部の人をとらえている。

運動といつても実質は嫌がらせである。けしかけたのは警察であり、市の職員である。最初に踊つた人は今は反省している。

じつとしている犬を、大勢で棒でつついているようなものである。

消えかかつた火に油をそそぐようなことをしてはいけないと思う。

本来本訴で白黒をつけるべきである。先走つて仮処分で現実を変えようとすることに無理がある。

緊急性がない。冷静になるべき、と思料する。

別紙一―3 執行抗告の補充理由書

第一、原決定は、憲法二一条(結社の自由)に違反している。

一、言うまでもなく、結社の自由は、集会、言論、出版その他一切の表現の自由と並んで、憲法二一条一項により保障されており、かつこれによつて保障される自由は、「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられ」ている(憲法一一条)。

大日本帝国の下、日本の指導者が、帝国主義侵略戦争を開始し、かつ遂行する絶対主義的支配機構を確立し、もつて帝国主義侵略戦争を開始しかつ遂行するために、支配者の「国策」にそわない反体制・反権力的グループを潰滅させるために、はじめはアウトロー的集団を、次には左翼を、そして最後は自由主義・民主主義のグループに至るまで弾圧し、その結果、敗戦という悲劇に至った歴史的犯罪行為をくりかえさないために、民主主義の根幹をなす規定として新憲法に高く掲げられた保障規定であることは、言うまでもない。

二、そして憲法二一条のこの結社の自由が認められない現行法上唯一の場合は、破防法七条により団体解散の処分がなされた場合だけである。

ところが、本件一力一家に対し、破防法による解散処分がなされていないことは言うまでもない。

そうすると、一力一家に対しては、もちろん憲法二一条の結社の自由が認められていることになる。

だからこそ、本件仮処分決定においても「本件建物内に、一力一家歴代組長・幹部及び構成員の名札、一力一家及び同一家傘下団体の名札、国領屋一力一家との名称入り又は山口組を表象する紋章入りの提灯、山口組綱領、同組を表象する紋章入りの幕並びに同組三代目組長故田岡一雄及び四代目組長竹中正久の写真を掲示しておくこと及び本件建物内に山口組又は一力一家を表象するその他の物件を掲示しておくこと並びに本件建物内に当番構成員を置くこと」を、認めているのである。

三、ところで結社とは、「一定の目的のためにする多数人の結合」である(宮沢俊義・芦部信喜『全訂日本国憲法』二四五頁)。

そして、本件建物は、一力一家という結社の唯一つの本部事務所である。だとすれば、本件建物に一力一家の構成員が出入りするのは、憲法上認められている結社として、当然のことである。

ところが、原決定は、「一力一家の構成員を、当番構成員であろうと否とを問わず、一日につき、のべ七名以上立ち入らせる等して同建物を一力一家の組事務所として使用したときは、一日につき金一〇〇万円、一カ月につき金三〇〇〇万円を支払え」という。一力一家の構成員は、本件仮処分決定によるも、一一〇名となつている。そうすると、原決定は、一力一家を結社として認めていないということになる。

これは、明らかに憲法違反である。

四、もっとも、本件仮処分決定では、一力一家を称して「広域暴力団と呼ばれる山口組傘下の地方組織」という言葉を二カ所で使つている。

しかし、一力一家が、結社として暴力行為を働いたことはない。又、それを疎明する資料もない。

又、一力一家の組員が、先に、相手方らに対し、暴力行為に及んだこともない。仮処分決定が「当裁判所の判断」の「(四)住民の反対運動に対する一力一家側の行動等について」の(1)および(2)で認定していることは、いずれも、相手方側が、本件建物前に二階建の監視所を設け、二四時間、テレビで本件建物を監視し、ここに出入りする人間のすべてを監視したり、商店街に「一力一家に対して品物を売るな」と呼びかける等のいやがらせをはじめた後に、抗告人の意思にもとづかない一力一家内のはねかえり組員のやったことであつて、アクションに対しリアクションがあるのは、物理的法則である。

五、しかもそのような若い組員のはね上り行動にたいし、抗告人は、つねに「そんなことをしてはいけない。これに違反したものは破門にする」と、命令して来たのである。

六、ということは、相手方らが、抗告人家族のプライバシーを侵害するような違法行為をやめれば、当然、右のようなはね上がり、行動に出る若い衆もいなくなり、ここに相手方らと組との共存共栄が可能となり、何ら相手方らには害が及ばなくなるのである。

七、もつとも本件仮処分決定によれば、「昭和六二年一月現在の一力一家の構成員一一〇名中、前科前歴のある者が一〇二名を占める」と言っている。だから「暴力団だ」と言いたげである。

しかし、前に悪いことをした者でもチャンと刑を後え、更生をはかつている者に対し、温い手をさしのべてやるのは、刑政の本質ではないのか。しかも、その一〇二名の事件は、すべて他の組との間のイザコザであって、一般市民に損害をかけたものは殆んどなく、まして況や、相手方らに迷惑をかけた事件は、一件もないのである。

八、いわゆる「ヤクザ」の人々が、具体的に法に触れた場合、その人が法の制裁を受けるのは、当然のことである。しかし、一力一家という結社それ自体を事実上否認することは、明らかに違憲であり、違法である。

第二、原決定は憲法二九条(財産権の不可侵)にも違反している。

一、本件建物とその敷地は、青野哲也の所有する財産である。そして所有権者は、「法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其所有物ノ使用、収益及ビ処分ヲ為ス権利ヲ有ス」る(民法二〇六条)。

そして、「その所有権者が組長をしている組の構成員を、一日につき、のべ七名以上立ち入らせてはならない」とした法令は皆無である。

ところが、原決定は、「七名以上立ち入らせたら一カ月三千万円の罰金だ」という。これでは、抗告人の土地・建物の所有権を事実上剥奪するものである。

そして前にものべたように、「財産権は、これを侵してはならない」ことは、憲法二九条一項の大原則である。

そしてこれを公共のために召し上げるときには、「正当な補償」を要することも又憲法上の要求である(憲法二九条三項)。

しかし、抗告人は、財産権の行使を事実上制約されたのに、一円も補償はされていないのである。

二、のみならず、本件仮処分決定でも認定されているように、一力一家は、本件建物に入る以前は、同じ浜松市鴨江三丁目に事務所を構えて長年使用していたところ、市民の誰ともトラブルをおこさず、まして況や「一日に七人以上出入りしたら一日一〇〇万円をとる」とも言われずに、平穏にすごして来たのである。

なんで、ここに来たために、一日一〇〇万円のカネを払わなければいけないのか。

三、さらに又、本件建物には、単に一力一家の組事務所があるだけではない。抗告人個人の住居として、本人とその妻と高校生の娘二人と中学生の息子、合計五人が住んでいるのである。

五人も住んでいる以上、その世帯主である父が組長をしている組員が一日に何人出入りしようと、それは生活の本拠である住居として使っている以上、自由のはずである。

本件仮処分決定では「債権者らの生命、身体、財産等を侵されることなく平穏な日常生活を営む自由ないし権利」を守るために、この仮処分を出すのだと言う。

同じように、抗告人とその妻と高校生の娘二人と中学生の息子一人にも、「生命、身体、財産等を侵されることなく平穏な日常生活を営む自由ないし権利」があり、住居において誰とでも会う自由があるはずである。この住居の不可侵性を、どうしてくれるのか。

妻と子ども三人と、その学友たちまで、二四時間、債権者らのテレビカメラでのぞかれ、記録されるのである。

昔、「シュギ者」の自宅の前に、特高警察が監視小屋を設けて、二四時間、見張っていたことがあった。

それとこれと、どこが違うのか!

第三、原決定を許せば、日本国中がヤミになる。

一、本件は、なるほど一力一家の事務所の事件である。しかし、国家権力の眼から見、体制にすぐ順応する「世間」の眼からみてアウトローと思われる集団にたいし、その所有するビルの使用まで禁止するという決定が判例として定着したらどうなるか。

前にものべたように、昭和初年から昭和一〇年代はじめまで、国家権力は、まず「おカミ」にたてつく日本共産党を弾圧しつぎに労農党と労働組合を弾圧し、そして自由主義者と民主主義者を弾圧し、その上で侵略戦争を始めた。

今また、静岡県警と浜松中央署という国家権力およびそれにそそのかされた四九七名の住民(海老塚地区の住民約三〇〇〇名の中のわずか一六%)は、法に従わずオカミに逆らうものと思いこんでいわゆる「暴力団」を弾圧しているが、これを放置すれば、過激派ということで中核派と革マル派を弾圧し、そして日本国中の労働組合から反権力・反独占・反戦の牙を抜き、そして共産党と社会党と民社党と社民連と公明党が「オカミに逆らうもの」として弾圧される時代が必ず来る。

昭和二〇年八月一五日以前の暗い谷間に再びこの日本を落すか落さないかは、一に御庁の判断にかかっている。

だからこそ、心ある識者も、原決定を憂えているのである。

別紙二 答弁書

抗告の趣旨に対する答弁

一、本件抗告を棄却する。

二、抗告費用は抗告人の負担とする。

との裁判を求める。

抗告の理由に対する答弁

第一 執行抗告の理由書「第一章」についての反論

抗告人の主張は、本件間接強制決定(以下「原決定」という)がその債務名義である静岡地方裁判所浜松支部昭和六二年(ヨ)第一〇五号同第一一六号不動産仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という)に表示された債務の範囲を越え、誤つた拡大(拡張)解釈をしたというものである。

しかし、原決定は、本件仮処分決定の趣旨を正しく理解せず、独自の解釈を主張する抗告人に対し、本件仮処分決定に表示された禁止事項の内容を明確にしたものにすぎず、何ら誤つた拡張解釈をしたものではない。

以下詳論する。

一 本件仮処分決定の解釈――例示列挙が限定列挙か

1 本件仮処分決定主文第二項は、「債務者は、…(中略)…、同建物内において國領屋一力一家の定例会を開催し、同建物内に國領屋一力一家の構成員を集合させる等して同建物を國領屋一力一家の組事務所として使用してはならない。」としている。この主文の文理から限定列挙と解する根拠は見いだせず、むしろ、「等」という文言の付加によつて明白に例示列挙である。

2 本件仮処分決定の理由第二項3、(三)は、「本件仮処分申請の趣旨のうち、…(中略)…同5の本件建物内において一力一家の定例会を行うこと、同6の本件建物内に一力一家の構成員を集合させること等により本件建物を一力一家の組事務所として使用してはならないとする部分については、いずれも本件建物を一力一家の組事務所として使用する場合の最も重要な要素であつて、債権者ら住民に及ぼす危険感や不安感が強く、かつ、外部から容易に現認し、又は看取し得るものであるから保全の必要性を一応肯認することができる。」としている。また、本件建物内に掲示された一力一家歴代組長・幹部及び構成員の名札等の物件の各撤去及び掲示の禁止、本件建物内に山口組又は一力一家を表象するその他の物件の掲示の禁止を求める部分及び本件建物内に当番構成員を置くことについては、「いずれも通常外部から看取できないものであるから、債権者ら住民に及ぼす危険感や不安感も低いこと」に照らし保全の必要性を認めることは困難であるとしている。この決定理由からも明らかなように、本件仮処分決定は、外部から容易に現認し、又は看取しうる態様による組事務所としての使用は相手方ら住民に及ぼす危険感が強いため、これを禁じたものである。そして、不作為命令の内容を簡潔明瞭に表示する仮処分決定の主文において右のような基準に該当する本件建物の使用態様をすべて列挙することは不可能である。そこで、本件仮処分決定主文第二項では、前記のとおり、定例会の開催と組員の集合を代表的禁止行為とし、これらと規範的価値判断において同視される態様で本件建物を組事務所として使用する行為も禁止する趣旨で敢えて「等」という表現を用いたものであり、これは相手方らが本件仮処分申請の趣旨において「等」という表現を用いた趣旨に対応し、これを認容したものである。

二 「集合させてはならない」の解釈

1 抗告人(債務者)に対する不作為命令は、当然のことながら、「…してはならない」とか「集合させてはならない」という表現形式をとらざるを得ないところ、そこで禁止される行為は、「作為」のみならず、これと規範的に同視できる「不作為」も含まれることは明らかである。蓋し、「不作為」によつて「作為」によると同様の法益侵害が可能となる場合があり、そのような「不作為」をも禁止するのでなければ当該不作為命令の趣旨は著しく没却されてしまうからである。

そして、その「不作為」の内容、範囲は当該不作為命令の趣旨や被保全権利の内容等から合理的に解釈されなければならない。

2 本件仮処分決定における被保全権利は、本件建物が一力一家の組事務所として公然と使用されることにより、「その構成員らの犯罪行為や他の暴力団との対立抗争等によつて、何時いかなる危害を加えられるかも知れない危険や不安に怯やかされる」ことなく、「平穏な日常生活を営む自由ないし権利」である。

従つて、本件建物に組員が集合する行為あるいは集合している状態は、正に本件建物が一力一家の組事務所として公然と使用されているものであつて、抗告人が明示又は黙示に集合を命令したり促したりした場合であろうと、組員が本件建物に集合しているのを容認し放置しているという不作為による場合であろうと、被保全権利に対する侵害は同程度である。

よつて、被保全権利の保全という点からは両者相等しく禁止されるべき合理的な理由がある。

3 組員が本件建物に集合するのは、抗告人が本件建物を一力一家の組事務所として使用しているからである。

ところで、抗告人は、本件建物の所有者兼管理者であるばかりか、一力一家の組長であり同一家組員とは上命下服関係に立つ絶対的支配者であるから、容易に組員の集合を禁止し、集合した組員を解散させる権限ないし地位を有する。

従つて、抗告人としては、組員の集合を禁じ、あるいは集合した組員を解散させて、本件建物を公然と組事務所として使用することを排除するべき作為義務を負うというべきであつて、同義務の履行は、抗告人の地位ないし権限に照らせば容易且つ可能である。

4 従つて、本件仮処分決定は、抗告人が本件建物に一力一家組員が集合するのを容認し、又は放置する行為も禁止したものである。

三 組員の出入りの禁止について

1 抗告人は組員がバラバラと出入りしている状態は集合とはいえないとする。

2 組員が集合するために本件建物に立ち入る行為は、それが一定の時刻に多数同時に立ち入る場合でなく、三々五々立ち入る場合であつても、本件建物が一力一家組事務所として抗告人の暴力団活動の拠点となつている限り、本件建物を公然と組事務所として使用していることになり「平穏な日常生活を営む自由ないし権利」を同程度に侵害する。

3 従つて、組員が本件建物に出入りする行為は、それ自体が本件建物の組事務所としての公然使用の表象であるという意味で、相手方らの危険や不安も大きく、「平穏な日常生活を営む自由ないし権利」を侵害する程度が大きく、集合するためという主観的な目的の存否を問わずこれを禁止すべき合理的な理由がある。

この点について、いわゆる「横浜マンション訴訟」の東京高等裁判所昭和六一年一一月一七日判決(判例時報一二一三号三一頁)は、「そこに暴力団の幹部が居住し、常時暴力団員が出入りすることはマンション居住者の日常生活に著しい障害を与え、マンション居住者にとつては耐え難いものであると認められる」と判示して、集合というような概念を持ち出すまでもなく、暴力団幹部の住居に組員が出入りすること自体が住民の平穏な日常生活を侵害することを認めている。

従つて、本件仮処分決定主文第二項は、抗告人に対し本件建物に一力一家組員を立ち入らせることを禁止したものであり、その中には抗告人の命令・指示等により組員を立ち入らせる作為と、前項で述べたとおり、その立入りを容認し、又は放置する不作為を含むものである。

四 危険感や不安感に関する抗告人の主張について

抗告人は相手方らの危険感や不安感は権利ではないという。しかし、被保全権利の存否は仮処分異議において争うべき筋合いのもので、間接強制決定に対する執行抗告で争うことはできない。

第二 「第二章」についての反論

抗告人は、「第二章」において原決定における「のべ七名以上」という判断及び「一日につき金一〇〇万円」という判断につき①証拠がない、②合理的理由がない、③法令解釈の誤りがあるとの非難を加えているが、これらの主張は、いずれも理由がない。

以下、「のべ七名以上」という判断と「一日につき金一〇〇万円」という判断とに分けて論ずる。

一 「のべ七名以上」という判断について

1 原決定は、抗告人が本件建物内に「國領屋一力一家の構成員を当番構成員であると否とを問わず、一日につき、『のべ七名以上』立ち入らせる等して同建物を國領屋一力一家の組事務所として使用したときは」間接強制金を支払えとして間接強制金支払いの要件を具体的に明確化した。

これは本件仮処分決定の禁止事項を、二義を許さず明確にして、間接強制金支払いの要件としたものである。即ち、執行文付与の具体的基準とするため本件仮処分決定主文の解釈を明らかにしたものである。

このような、本件仮処分決定の「解釈」の問題は、事実認定ではないのであるから「証拠」はそもそも必要でなく、この「解釈」の合理性のみが問題となるのである。従つて抗告人が「証拠はなにもない。これだけは本当になにもないと思われる」と非難すること自体が誤りである。

2 次にこの「のべ七名以上」という解釈の合理性について検討する。これが合理的か否かという判断は本件仮処分決定の禁止事項を数量化することの合理性と、この数量化の結果(のべ七名以上)の合理性の二点から検討されなければならない。

前者についていえば抗告人に本件仮処分決定遵守の意思がなく、独自の解釈に基づき違反を継続していることから二義を許さぬ基準を示す必要があること、及び、間接強制金支払いの要件を明確にし執行の際の紛争防止の必要があることに鑑れば数量化すること自体には合理性がある。

次に、後者すなわち数量化の結果の合理性についていえば、そもそも抽象的な禁止事項を数量化するのであるから、一プラス一イコール二というように算術的に結果が導き出されるはずがなく、ある程度の総合的判断がなされることは避けられない。要は第一に詳述したように相手方ら住民の平穏な日常生活を営む自由ないし権利を具体的に侵害する態様といえるか否かであり、相手方らはのべ五名以上の構成員の立入りを以てその法益侵害の具体的危険が発生したものであると考えるが、原決定は「のべ七名以上」の立入りを以て具体的危険が発生したものと判断したものである。これら複数に及ぶ構成員の立入りは、本件建物が暴力団活動の本拠たる組事務所として使用されていることの顕著な一大表象であり、相手方らの平穏な日常生活を営む自由ないし権利を侵害したり、又は侵害するおそれがあるものとして、前記禁止事項に反するとした判断はまつたく正当というべきである。

二 「一日につき金一〇〇万円」という判断について

1 間接強制は、金銭執行の威嚇をもつて債務者に心理的圧力を加えるほかに本来の債務を履行させる方法がないため採られる最終的な執行方法である。決して強制金の支払いを求めることが本来の目的ではない。債務者としては本来の債務を遵守しさえすれば金銭執行を免れうるものである。

2 間接強制金の性質については、旧法の法文によれば損害の賠償を命じるという規定になつており、強制金が執行債権の不履行による損害によつて枠づけされていたとも解する余地があつた。しかし、新法では執行裁判所が「債務の履行を確保するために相当と認める一定の額の金銭」の支払いを命じることとされ、一種の法定違約金と解される。もちろん債権者の損害が斟酌されることは否定できないが、執行裁判所は、かならずしも、これにしばられず履行確保に必要と判断される金額を定めることができるのである。

従つて、間接強制金額の決定については事案の性質に鑑み、権利・義務の性質及び債務者の態度を重要な判断基準として弾力的に判断される。

3 本件被保全権利は人間として生存する以上最大限尊重されるべき人格権であり、相手方らが求めているものは抗告人が本件建物を暴力団事務所として使用することの差止めである。抗告人が本件仮処分決定において宣言された禁止事項に違反することによつて相手方らが蒙る損害の算定は、困難であると共にその損害は金銭賠償では満足を得られないばかりか金銭的賠償では何ら救済の意味を持たないものである。これに対し、抗告人が本件建物を一力一家の事務所として使用することによる暴力団活動は不正な利益追及にすぎず、その活動には保護されるべき利益もない。

他方、抗告人の態度を見ると、本件仮処分決定の翌日には、のべ三〇人の組員を集合させ、あまつさえ「代紋を外せば使用してよい」との見解を表明し、自ら組事務所として使用していることを認めているのである。しかも弁護士である代理人までもが同様の見解を表明し、決定違反行為を助長するが如き態度に出ているのである。

すなわち、抗告人は、全く本件仮処分決定を無視しそれに違反する態度の明確な債務者と断ぜざるえない。

4 右のような事実の下で原決定が違反一日あたり金一〇〇万円の支払いを命じたことは何ら裁量権を逸脱したものではなく、むしろ低額すぎるというべきである。

抗告人は、間接強制金額の量定につき、その証拠・理由が示されていない旨主張するが、その金額を定めるにつき心証の由来する根拠を説明する必要はなく、ましてやその算術的根拠を示す必要もないので理由不備の違法はない。

なお、抗告人は、一日金一〇〇万円など支払えるはずがないと主張するが、何度も述べるように抗告人が決定を守りさえすれば支払い義務を負うものではなく、なんら過酷な義務を付与するものではない。

三 「民法四二七条、四二八条の解釈の誤り」に対する反論

1 抗告人は、原決定の「債務者は、債権者らに対し、当該違反をした日の一日につき金一〇〇万円を仮に支払え。」との部分に関し、これを不可分債権の認定をしたものと捉え、これは民法四二七条、四二八条の解釈を誤つており、抗告理由に該当する旨主張している。これに関しては、次のとおり反論する。

2 間接強制金の決定には、履行確保のために大幅な裁量権が裁判所に与えられているのであり、間接強制金額をいくらにするかと同様、債権者が複数の場合間接強制金請求権を分割債権とするか不可分債権とするかについても裁判所の裁量の範囲内であり抗告理由に該当しない。

既に述べたとおり、間接強制金の制度は旧法と異なり新法ではあくまで債務の履行を確保するために相当か否かの観点から裁判所が裁量により決定することになつた。従つて、要は債務の履行を確保するためにどのような制裁金を課するべきかが重要な問題なのであるから、新法の法文上「一定の額の金銭」と規定して金額についてのみ規定しているが、債権者複数の場合のその金銭債権の性格について不可分債権とするか分割債権とするかについても、債務の履行確保の観点から裁判所が裁量によつて決定できると言うべきであり、本件において諸般の事情を考慮したうえで不可分債権と判断してもそのことで抗告理由に該当するものではない。

第三 「第三章」「第四章」についての反論

一 抗告人は、その抗告理由書「第三章」において、原決定の憲法二九条、一三条、一四条違反を、同「第四章」においては仮処分の暫定性、緊急性に欠ける点を主張している。

二 しかし、右はいずれも実質が本件仮処分決定の当否に関するもので、抗告審での審理対象外である。また、金一〇〇万円の間接強制金額の妥当性については既に述べたとおりである。 以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例